1920年代のABUS

2024年は100周年

2024年も終わりに差し掛かってきていますが、ABUS(アブス)は1924年創業。
つまり2024年でちょうど100周年を迎えています。

”August Bremicker氏”が彼の息子と共に小さな工場の地下室でカギを作り始めたことが始まり。


”August Bremicker”と息子

英語で言うと、
August Bremicker and son.

ドイツ語で
August Bremicker und Sohne”
これがABUSの名前の由来になっています。

August Bremicker

100年の歴史を振り返る。
創業の様子 オーガストとエマの出会い

1861年6月12日、オーガスト・ブレミッカーはグンマースバッハ近郊のリーバーハウゼンで生まれました。
19歳のとき、フォルマールシュタインに移住、6年後にジーゲン近郊のアーヘンバッハ出身のアマリー・ホルディングハウゼンと結婚しました。
二人の間には10人の息子と2人の娘が生まれましたが、そのうち1人の息子は生後間もなく亡くなりました。

1909年にアマリー・ブレミッカーが亡くなり、翌年オーガスト・ブレミッカーは、エマ・ブレミッカー(旧姓シリング)と再婚しました。

第一次世界大戦以前から、オーガスト・ブレミッカーとその長男たちは、全員が錠前メーカーのオーガスト・シュレーダー社で働きながら、自分たちの事業を立ち上げるという夢を抱いていました。
しかし、大戦の勃発によりその計画は中断。
6人の息子のうち2人が第一次世界大戦に徴兵され、帰還することはありませんでした。

1918年以降になってようやく、ブレミッカー家は徐々にその起業計画を再開することができました。


1924年創業

小規模な家族経営の事業という構想が実現するまでには、さらに数年を要しました。
63歳のとき、オーガスト・ブレミッカーは息子たちの一部と共に、長年の夢であった独立をついに果たしました。

1924年、冒頭にも述べた「オーガスト・ブレミッカー・ウント・ショーン」という名称でABUSが設立されました。
創業時の資本金は、土地を売却して得た約15,000マルクで賄われました。
この資金で50~60平方メートルの簡素な建物を建設し、いくつかの機械を購入し、必要な材料を調達することができました。

当時としては高齢であったオーガスト・ブレミッカーを支える形で、息子たちが会社の設立において重要な役割を担いました。
特にヴェルナーは、ABUS初のフルタイム従業員となりました。
また、息子たちのうちグスタフ、オーガスト・ジュニア、そしてジークフリートは、当初は通常の勤務時間外に会社を手伝いました。

さらに、オーガスト・ブレミッカーの再婚相手であるエマも、夫と息子たちを積極的に支えました。
彼女の揺るぎない献身が、事業の成功と発展において重要な役割を果たしました。


1920年代

創業初期の数年間は、家族全員が献身的に取り組む中、過酷な労働や多くの夜勤が続きました。オーガスト・ブレミッカーとその息子たちは、敬虔なキリスト教の信仰心から神の祝福を指針として、事業初期には個人よりも共同の努力を大切にしていました。

最初の工場


1926年には、ABUSで生計を立てていた従業員はわずか4名でしたが、1928年までには約30名までに成長。
会社は継続的に新しい南京錠モデルを開発し、最初の自社製品として「アイアンロック」を発表。

「アイアンロック」南京錠はフォルマルシュタインから出荷された最初の製品

初代ロック No. 325

1925年のカタログ

1920年代には、初期のABUSロゴの一つが誕生。

エマ・ブレミッカー(奥さん)は、会社の発展において中心的な役割を果たしました。
彼女はすべての商業業務を管理、自らサンプルケースを持ってルール地方を訪れ、顧客の注文を獲得するなど率先して積極的に行動を起こしていきます。

ABUSは新しい顧客を積極的に開拓し、ハンブルクの輸出業者を通じて輸出の機会を模索しました。
ドイツ市場では厳しい競争に直面しましたが、ABUSは主に海外で大口顧客を獲得し、高品質な製品が国際市場で急速に人気を集めました。


ABUS100周年 ヒストリー記事

1930〜40年代のABUS

前回ABUS(アブス)創業の1920年代についてでした。続いて、1930年代、40年代とチェックしていきま

1920年代のABUS

2024年は100周年 2024年も終わりに差し掛かってきていますが、ABUS(アブス)は1924年創業。